■Peach&Blossom/ピーチ・アンド・ブロッサム■

商号の由来は、また、お会いできたときにお伝えできればと思います。誠実・キラッと光るをモットーに歩んでいます。

■P&Bの体制■

P&Bは藤村個人が展開する事業体です。デザイン・印刷・カメラ・イラスト・出版社などとのつながりの中で仕事を行なっています。

■代表/藤村郁雄/ふ・じ・む・ら・い・く・お■
●生年月……1957年7月
●出身……兵庫県の田舎部
●学歴……関西学院大学卒
●職歴……地方紙系出版社・教育系財団広報部を経て独立。
●性格……基本的には温厚。かなり真面目でちょっと不真面目。短期集中型。この仕事をするには強引さに欠けるかもしれないが、意見はしっかり伝えます。基本的には田舎生まれの田舎人間の性格をしているようです。
●趣味……テニス・ブラリ旅行
●長所……ありすぎて書けない?
●短所……酒・コーヒーが飲めない。
■イントロ/introduction■
●小学時代
どこにでもいるフツーの坊ズでした。

●中学時代
1年生の時には当時流行りの卓球部。スブリやウサギ跳び・ランニングばかりで「走るのが嫌になったので辞めます」といった3日後に陸上部に入ってました。幅跳び・三段跳びで県大会に出場。クラス委員長&生徒会役員も歴任しましたっ。

●高校時代
数学が好きで理科系を歩んでました。成績は結構良かったけれど、勉強嫌いじゃ受からない。あえなく受験浪人生に。

●浪人時代
京都で浪人生活。上賀茂神社ちかくの下宿から、下鴨神社近くの予備校まで、最初は真面目に通ってたけれど、そのうち京都見学にはげむようになりました。志望大学は見事に不合格。たまたま受験していた関学社会学部に転がり込みました。

●大学時代
専攻は社会学・コミュニケーション。女性の教授でコッテリ絞られました。でもゼミリーダーの私は、みんなを遊びの方向へと引っ張っていってました。どうも根っからの遊び好きで、下宿・ゼミ仲間とマージャン・合コン・合ハイに明け暮れてました。就職は、新聞記者を目指して受験。でも筆記試験で落選。まっいいかぁ、で、就職浪人。

●大学5年生時代
オーストラリアにいけば新聞記者になりやすいゾなんていうウワサに惹かれて、さっぱり英語もわからないのに3カ月間、遊学。シドニー付近をウロウロしてました。やっぱりウワサはウワサにしか過ぎず、帰国し、再び、新聞社受験。最終面接であえなく陥落。系列の出版社に勤めることになりました。

●某地方新聞系出版社時代
新聞社の記念事業で地域百科事典を編纂する仕事につきました。この時代に編集・校正など出版の基本を覚えました。2年後完成とともに、退職し、某教育関係の財団に就職しました。

●某教育財団時代
財団・塾・予備校・高等専修学校などの広報・広告展開・制作を行なっていました。優秀な人材が多く、いろいろ学ばせていただきました。2年余り勤めて、フリーランスとして独立しました。

●フリーランス時代
財団の仕事をいただく一方、大阪で賃貸住宅情報誌「ルームガイド」の立ち上げを行ないました。フリーでありながら、副編集長的な立場で、工程管理から企画・取材・コピーライト、果ては人員採用面接などもやってました。朝8時30分から終電近くまでほぼ毎日、週刊誌立ち上げは、若く体力のあった時にもさすがに厳しかった。

●会社設立時代
企画会社の社長に見込まれ、広告プランニング会社を神戸元町に共同出資で設立。企画会社のクライアントさんを相手にさまざまな広告プランニング・制作等を行ないました。ピープル・エグザス、三菱重工神戸造船所、農協、NTT、なかでもJA兵庫経済連の40周年記念誌は、千ページ近くの大規模編集物、百科事典に次ぐ代物で、進行管理等、重責を担いました。

●再度フリーランス時代
諸事情により再び、フリーランスとして独立。元町の中国銀行ビルに事務所を構えました。が、1年半後に阪神大地震。ビルは上から下までペシャンのオジャン。資料もすべて消滅。西区の現自宅を事務所に商号も変更し再開しました。

■ピーチ&ブロッサム■

1995年の地震以来、自宅事務所で神戸YMCA、運輸省関係広報誌、高輝度光科学財団(SP-8)などのパンフレット制作、企画・コピーなどを行なってきました。クライアント直やデザイン会社・印刷社などから依頼をうけ、小商店から一部上場企業パンフ・記念誌までさまざまな仕事をこなしています。